☆ミぶどうちゃんのブログ☆彡ぶどうが獲れる柏原にいらっしゃい!

ぶどうの出店は、6月の予定です。ぶどう狩りは、8月に再開の予定です。来年もよろしくお願いします。

マタイによる福音書6章9節(主の祈り)

 マタイによる福音書6章9節(主の祈り)は、キリスト教の礼拝の時に唱和します。
 天にまします我らの父よ。願わくは御名を崇めさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になる如く地にもなせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪を犯す者を我らが許す如く、我らの罪をも許したまえ。我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ。国と力と栄えは限りなく汝のものなればなり。アーメン。
 クリスチャンが、礼拝で罪からの解放や日常生活の繁栄を誓います。私が最近の礼拝に出て感じるのは、大げさな祈りや説教が目立ち、イエスキリストが私たちに語りかけていることを置き去りにされています。
 それは、キリストの言葉を聞いて初めて信仰と行いができるのです。牧師は、キリストの言葉を伝えるだけの人であり、神よりも上でありません。牧師の一部が、神よりも上と感じることでクリスチャンに対するいじめや奉仕の強要、献金の強要などの罪を犯すようになっています。これは、諸法律よりも聖書が大事だと言う傲慢な態度です。
 私は、一部の牧師や役員の罪から解放されるように主の祈りを誓いたいと感じています。