☆ミぶどうちゃんのブログ☆彡ぶどうが獲れる柏原にいらっしゃい!

ぶどうの出店は、6月の予定です。ぶどう狩りは、8月に再開の予定です。来年もよろしくお願いします。

キリストと共に生きるとは。

 私は、神と生きるために律法によって律法によって死んだ。私は、キリストとともに十字架につけられた。生きているのは、もはや私ではない。キリストが私のうちに生きておられるのである。
ガラティア人への手紙2章19節から20節
 クリスマスの教会での取り組みは、1ヶ月余になって伝道礼拝やクリスチャン間での祈祷が行われています。現在のキリスト教での礼拝が、人の罪から解放するために身代わりになったイエス キリストの行い(十字架に付けられて、死んでから3日後に復活する)を真摯に受け入れにくい場になっています。
 礼拝が、牧師の究極のクリスチャンビジネスなっています。クリスチャンが定期的に教会への維持の献金をします。献金の使途が、クリスチャンから見て情報の公開を前提に行われていません。
 クリスチャンが献金をするのは、牧師への食い扶持の確保のためでなく、「世の誕生から世の完成」を成就のビジョンを示し律法(旧約)と新約の神の言葉に基づいて生き、天国に向けて死んでいく証なのです。 
 クリスチャンが生きているのは、神に守られて聖書の言葉を信じ、常に罪を悔い改めているからです。