神の義は、神の福音の中に示され、信仰に始まり信仰に至る。これは信仰による義人は生きると聖書に書いている通りです。(新約聖書ローマびとへの書簡1章15から17)
クリスマス礼拝とクリスマス賛美礼拝は、教派を問わず兄弟姉妹の信徒たちが去年から準備して洗礼を受けていない兄弟姉妹の迎い入れ、イエスキリストの十字架につけられてびとの罪の許しを受けるイベントとして盛り上げます。
私が教会生活で感じたことは、クリスチャンは聖書を通して言葉を生きるエネルギーに変える努力をしていると言うことです。
具体例は、声を出して祈り証をする、日々の人間の生活の中のもろもろ誘惑に対する悔い改め、日曜日の礼拝で牧師を通したメッセージを聞く、礼拝の後の兄弟姉妹の交わりです。
私がある韓国人のクリスチャンからローマびとへの書簡をじっくり読み祈りなさいとアドバイスを受けました。そして、ヘブルびとへの書簡も、旧約聖書を丹念に触れながら新しい神の契約のミッションを明らかにしています。
クリスマス礼拝やクリスマス賛美礼拝を礼拝を通したメッセージは、さまざまな角度から解きますが、ローマびとへの書簡が人のレジェンドなんてたいしたことでないイエスキリストの生涯、生涯の証を示す礼拝が日本や世界に発信する、御言葉に新たな生き方を決めるチャンスではないでしょうか。