すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。 ……したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。
この箇所は、パウロがローマでの伝道する中で神を信じることと祈ることを一体とすることを指摘しています。私の知り合いのクリスチャンが毎週の礼拝の出席にもかかわらず、自分自身の部屋の掃除をしない、日常生活と信仰を切り離す、週2回の酒に依存する、教会に意味もなく入り浸る、突如自宅の周りを徘徊するなどをしています。
私は、知り合いの所属している教会が一人ひとりのクリスチャンの信仰生活についての悩みを含めた交わりと祈りをしていないことを感じています。知り合いの信仰生活は、日常生活から切り離した自己逃避の輪であり、ツールなのです。
クリスマス礼拝は、単なる教会の行事をこなすだけでなく、クリスチャンの1年間の信仰生活の総括と悔い改めの場です。クリスチャンの信仰生活は、1週間の生活スタイルの中に組み込まなければなりません。