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1980年代の青年学生運動の経過と総括 その③

 この時期の青年学生運動は、アメリカの新自由主義と対峙する中で若年者の生活第一と自立できる人間としてのビジョンのためでなく平和擁護闘争や組織が気に入る芸術活動の振興、生きがい活動などのガス抜き活動です。青年学生は、実態として①初任給の低額への押さえ込みや②学費の高さ、③両性機会均等と称した派遣労働者の増大、④卒業者の就職難などほかの階層よりしわ寄せを受けていました。
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 ほとんどの労働組合の青年部や政党の青年対策、市民団体の青年対策は、これらの青年学生の不満を捉え切れなかったのです。この当時の青年学生運動が経験したことは、①1986年のフィリピンでの独裁政権の崩壊や②1989年の参議院選挙での社会党の議員の増加、③1989年の東ドイツのベルリンでの壁の崩壊です。それは、ユダヤ金融グループの東ヨーロッパ戦略の破綻、新自由主義に対する批判の現われ、独裁体制への抗議などです。
 先輩たちが、この当時の若年者を新人類とか宇宙人と言った批判をしてきました。この当時の若年層が、そのような分断を乗り越えて選挙や実力行動を通して体制崩壊政権交代を体験・実践したのです。
 この当時の若年層が、40歳代から50歳代になって国会議員や地方議員、労働組合の幹部、市民団体の幹部としてんばっています。この人たちが、結婚して子どもたちを育てていました。子どもたちは、高校生や大学、社会人として巣立っています。子どもたちは、大先輩や親の時代と違って現在の経済格差をリアルの捉え、親たちのバブル景気の浮かれた話に乗らずに新しいムーブメントを生み出そうとしています。
 私は1980年代の青年学生運動を知る中で、派手な実績でなく地道な実績を経験しました。後輩たちが、今までにないムーブメントで成功や失敗を重ねる中で対米自立のビジョンや生活第一の政治、自立できる生活の確立に取り組んで欲しいのです。
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