日本の左翼の若年層対策は、1960年代から1970年代の
労働組合青年部や
学生自治会の高揚期から1980年代の停滞期、1990年から現在の後退期の中でかなり苦労しています。
職場は新規採用の自粛や非正規の定着の難しさで、
労働組合の青年部の閉鎖や休部になっています。大学は、
学生自治会の無所属化や大学による活動禁止、就職活動の困難さ、学生の定員割れになっています。高校は、中途退学や未就職、大学進学の選択のしづらさを抱えています。
若年層の党員やメンバーは、残念ながら親や祖父母の2世や3世といった人たちが主流です。親や祖父母が非党員の若年層の党員はほとんどいません。そして、自己犠牲や経済的な負担、趣味からの疎遠、日常生活との両立の難しさも困難のなかに入っています。
私は、自由と生存の
メーデーや関西レインボーパレードの経験が①気軽に参加できること②ネットによる宣伝効果、③いい人受け狙いにしていないこと、④若年層が生きれる居場所を作ることです。この経験は、
共産党だけでなく
社民党、
新社会党、ラディラルに真似ができません。それは、固定された活動層のための活動層による活動層のムーブメントに原因を持っているからです。
若年層が生きられる居場所を作ることが、職場や居住地、学校での不満や悩みを出しあい、共通の話題や要求が具体的に出てくるのです。居場所が
労働組合や
学生自治会、政党に限定しないことが重要です。