☆ミぶどうちゃんのブログ☆彡ぶどうが獲れる柏原にいらっしゃい!

ぶどうの出店は、6月頃の再開の予定です。ぶどう狩りは。8月頃の再開の予定です。今年もよろしくお願いします。

縞馬田ベティTheater~『常冬の街のクリスマス』~を読んで

 私は、縞馬田ベティTheater~『常冬の街のクリスマス』~を読んで、シマウマさんが、2007年1月17日に1995年の阪神淡路震災の時の体験に基づいた童話を発表しています。作品は、下記のとおりです。
列車に乗って、山を越え、そしてまた山を越えると…
そこは『常冬の街』でした。

常冬の街は一年中が冬でしたので、
人々は冬でも緑の葉をつける樹々や、
寒さに強く、美しい花を咲かせる椿や梅の木で
街を飾りました。

常冬の街は一年中が冬でしたので、
かぶや大根など、冬に甘く育つ野菜が一年中とれました。
人々はその野菜で、暖かいシチューを作って皆といっしょに食べました。

常冬の街は一年中が冬でしたので、
鶏も牝牛も夏の暑さに疲れることを知りません。
一年中、鶏は卵を産み、牝牛からは甘いミルクを絞ることができました。
人々は暖かい火のそばで、卵とミルクがたっぷりの甘いお菓子を焼きました。

常冬の街の若者たちは、外で遊ぶことよりも、
暖かい部屋の中で、お芝居や詩の朗読を楽しむことを好みました。
だから街の中心には大きな劇場があって、一年中街の人が
お芝居を演じたり、自分で作った詩やお気に入りの詩を聞かせて楽しみました。

こうして常冬の街の人々は、幸せに暮らしていました。

  ………

あるとき、常冬の街に、たくさんの雪が降りました。
「めずらしいこともあるものだ。この街に雪が降るなんて」
常冬の街は、池にうっすらと氷が張ることがあっても、
あたりを一面に覆いつくすような大雪は、めったに降らなかったのです。

雪は降り続けました。
子どもの背より高く雪は積もり続け、
やがて大人の背を越すほどに雪は降り続け、
そして街で一番背の高い楠木すら追い越すほど降り続け
それでも雪はけっして止むことなく、いつまでも降り続けました。

常冬の街の人々はおおいに弱りました。
雪にたいする備えが、まったくなかったからです。

雪は水道管を凍らせました。だから水が使えませんでした。
雪は電線を切りました。だから人々は暗闇の中で暮らしました。
雪は道路を埋めました。だから常冬の街に一切の荷物が届かなくなりました。
窓にも氷が張って、家の中からは外がまったく見えなくなりました。
人々は街の中心にある、一番大きな劇場に集まりました。
皆でシチューとビスケットを持ちよって、分け合って食べました。
だけど、やがて食べ物もなくなりました。

人々は古くなった道具を持ちよって、燃やして暖をとりました。
だけど、やがて燃やせるものもなくなりました。
人々は大きな声で詩を朗読し、ダンスをして身体を暖め合いました。
だけど、やがてその元気もなくなりました。
それでも人々は身を寄せ合って、暖め合いました。

「ああ、このままでは皆、死んでしまう…」

その時、外でぱたぱたと、大きな音がしました。
一番元気が残っていた若者が外に出て、ようすを見に行きました。
すると…空には色とりどりの美しいヘリコプターがたくさんたくさん飛んでいました。
常冬の街から、一台の車も来なくなり、一通の手紙も送られてなくなったので、
世界中の人々心配して、様子を見に来てくれたのです。

北の国々からも、南の国々からも、たくさんの荷物がやってきました。
東の国々からも、西の国々からも、たくさんの応援の手紙が届きました。

「ぼく達は独りじゃなかった! けっして見捨てられていなかったんだ!」
   
常冬の街の人々は、感謝の涙を流しました。
その涙が、降り積もった雪を溶かし、街は春のようになりました。

常冬の街の人々は、今では昔と同じように幸せに暮らしています。
だけど、常冬の街の人々は、世界中の人々が助けに来てくれた、
あの日のことを忘れはしません。
だから、その日を、この街のクリスマスに決めました。

その日とは、1月17日です。
                      ~ お わ り ~

 私は、家で横揺れで棚から物が落ちていて何が起こったのかを見ながら、テレビを見ると神戸での地震でした。私がテレビで見た時は、建築構造設計の仕事をやる気を無くしていました。
 私は、シマウマさんが震災での出来事を童話にしたことをすごく感性のある人と感じました。