今村稔元社会主義協会代表が1960年の福岡県内の三井三池炭鉱の闘争振り返り、現代の労働組合の闘争のビジョンを説きました。
今村稔氏は、①労働組合運動の合言葉の頑張ろうと資本社会でのがんばろうの意味の違い、②三池炭鉱で働く炭鉱労働者の労働状況、③戦前の労働組合とアメリカ占領下の労働組合の似通い、④炭鉱労働者の人間扱いができる労働組合、⑤炭鉱の職制に気に入られない労働者の不満が労働組合誕生の起源、⑥炭鉱の中のギャンブルに興味を持つ炭鉱労働者、⑦度ごとの酒に溺れる炭鉱労働者、⑧炭鉱労働屋の借金を含む生活状況をつかむ労働組合の役員、⑨総資本対総労働の主要な矛盾のビジョンを現した三池炭鉱労働組合、⑩三池炭鉱労働組合を支えた家族共々のムーブメント、⑪炭鉱労働者のマルクス経済学を学ぶ姿勢、⑫英雄なき113日の三池炭鉱労働組合の廃坑反対闘い、⑬三井資本が恐れた三池炭鉱労働組合、⑭三池炭鉱労働組合の廃坑反対後の三池炭鉱の爆発事故、⑮1960年の三池炭鉱労働組合の廃坑反対が今の労働組合があるを説きました。
私は、1985年頃に大阪工業大学夜間部の学生の頃に①共産党の影響の強い学生自治会や市民運動の労働組合の関心の薄さ、②藤田進同大学理事長の日本社会党参議院議員の不甲斐なさに悩み、社会主義協会関西支局の訪問で知りました。
今村稔氏は、PLP会館近くのえびす大黒ビルに入った社会主義協会関西支局の事務局長で遠出が多く、不規則の食生活にならないように、自宅で作った弁当を食べていました。
不規則な生活は、組合運動や政治活動、市民運動のアクティビストがありがちです。
今村稔氏は、悪しき不規則な生活をせずに規則正しい生活で現在高齢で元気にしていると思います。