高沢寅男元衆議院議員の1998年の死去から10年経た2008年に偲ぶ会のパンフレットや案内誌を見つけました。高沢寅男は、日本社会党の公認で1972年に中選挙区時代の東京五区から初当選して1990年まで7期まで衆議院議員になりました。1993年には落選してから、無所属で練馬区長選挙に挑戦したものの落選しました。
中選挙区時代は、自民党と公明党、社会党の特等席と言われ、共産党が歯が立たないようです。私は、電話で練馬区長選挙の時に高沢寅男に選挙に立候補したきっかけを聞くと高沢寅男が、「社会党だけでなく幅広い層から支持をしていただくために出馬した。」と少し愛想が悪い返事でした。
北川かつしげ前練馬区議が高沢寅男の秘書をして社会党の選挙のノウハウ、組合の付き合い方、後援会の運営の指導を受けて、社民党東京都連合の代表代行を続けています。高沢寅男が関わっていた社会主義協会の向坂逸郎九州大学教授グループの国会議員として協会の労働組合会員や個人会員、まなぶ読者、労働大学受講者にマルクス主義の基礎を広めたと感じます。