☆ミぶどうちゃんのブログ☆彡ぶどうが獲れる柏原にいらっしゃい!

ぶどうの出店は、6月の予定です。ぶどう狩りは、8月に再開の予定です。来年もよろしくお願いします。

武器なき闘いの今日における意義

 私は、3年前にこの映画を記事にしていました。このときの記事の背景は、東京の葛飾区内のマンションでのビラまきによる逮捕や選挙に対する干渉、アメリカの従属政治から政権交代への流れの誕生でした。
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 この映画は、1960年に独立プロ系の作品です。映画の作るきかっけは、関西地方の総評加盟労働組合の青年労働者が、山本薩夫監督に西口克己作の小説の山本宣治の映画化を説得するなかで作られました。
 出演は、下元勉、渡辺美佐子東野英治郎小沢昭一宇野重吉などです。生物学者の山本宣治は、同志社大学や京大の講師を勤めましたが、全国社会科学連合にかかわったという理由で同志社大学を追われました。山本は、産児制限運動の中で労働者や農民への運動に連携していくのです。山本は、帝国議会での衆議院議会で労働農民党の議員として、唯一治安維持法の廃止を強く要求しました。山本は、1929年3月5日に神田の宿舎で右翼に殺されました。京都府宇治市内にある墓には、「山宣ひとり孤塁を守る。だが私は淋しくない。背後には大衆が支持してくれているから」と刻まれています。
 コンピューター監視法の成立や大連立政権構想、挙国一致の政治運営、がんばろう日本のカンパニアが、人工地震による経済テロやアメリカのドル経済への巻き返し、日本におけるレイシストの策動を助長しています。武器なき闘いの映画は、このような情勢下での警告なのです。