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ドイツ左翼党の躍進とドイツ社民党の停滞

 ドイツ社民党は、1998年の連邦議会で躍進して2002年でも躍進しました。同党は、ドイツ緑の党と連立を組んでシュレーダー首相を誕生させました。連立政権の下地を作ったのは、ラフォンテーヌです。ラフォンテーヌは、ドイツ社民党の左派と言われてシュレーダーが右派と言われていました。
 しかし、シュレーダーは、長期失業手当の改悪や実質賃金の抑制、大企業向けの減税策、年金支給額の抑制、医療保険における患者負担の増加、失業者の増加で2006年の9月の連邦議会の解散による選挙でドイツ社民党が惨敗して、キリスト民主同盟のメルケルに明け渡されます。
 2005年5月、オスカー・ラフォンテーヌのドイツ社民党の左派が離党して労働と社会的公正のための選挙オルタナティブ(WASG)を結成しました。WASGは、ドイツ民主社会党旧東ドイツ社会主義統一党)と連合してドイツ左翼党を結成しました。
 ドイツ社民党は、シュレーダー時代の新自由主義的な現実路線から2007年10月にハンブルグ綱領を制定しました。この綱領は、アメリカのグローバル化に対抗すること、新自由主義との決別、環境保護ジェンダーによる差別解消などドイツ左翼党との連携を図ろうとしています。
 ドイツ左翼党は、結成前後にドイツ東部だけでなくドイツ西部で州議会や市議会で議員を誕生させるほどの勢いをづいています。大阪府知事選挙の立候補者だった梅田章二弁護士が、ドイツ左翼党の勢いを自民党政治と違う新しい政治の参考にしようしています。
 ドイツ社民党の左傾向の路線とドイツ左翼党の躍進は、日本の左翼や野党が両党の経験を学び、自民党政権から交代に役立てるようにするべきです。