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レーニンの哲学ノートから見た物事の本質

 レーニンの著作の哲学ノートは、ヘーゲル弁証法の本質とヘーゲル弁証法の弱点を明らかにしています。この著作は、ヘーゲルのみならず、ドイツの哲学の問題点も明らかにしてます。レーニンは、ヘーゲルの論理学とその他の論理学との比較をしたうえで次のことを説明しています。
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 論理学は、思惟の外的諸形式にかんする学問ではなくてあらゆる物質的、自然的および精神的事物の発展、すなわち、世界とその認識のあらゆる具体的内容の発展の諸法則にかんする学問である、いいかえれば、世界認識の歴史の総計、総和、結論である。
 
 つまり、ヘーゲルの論理学は、従来の論理学(形式論理学)のように形式的な人間の思考を対象とするのではなく、世界(自然や社会、人間の生活)とその認識の具体的な内容の発展の法則に関する学問とみなしていることです。そして、ヘーゲルの観念論が、世界と思考の運動法則としての弁証法唯物論との融合になって労働者階級の解放のために哲学を明らかにすることができたです。レーニンは、人間の認識と論理学との関係も指摘してます。
 
 論理学は、認識についての学説である。認識論である。認識は人間による自然の反映であるが、それは単純な反映ではなく、一連の抽象の過程であり、諸概念、諸法則などの定式化、形成の過程であり、人間による自然の認識の緒契機、これが論理学の諸カテゴリーなのだ。
 
 論理学と人間の認識は、マルクス主義者がヘーゲルの論理学との関係で自然や社会を取り巻いている現象や本質、法則を捉えるのことに必要なのです。レーニンは、概念の弁証法から事物(現象、世界、自然)の弁証法に作り変えたのです。レーニンは、ヘーゲル弁証法の特徴の有論から慨念論にいたる論理学の研究をして、世界の一般的運動法則と抽象的なカテゴリーから具体的なカテゴリーへ至る認識の発展を見つけました。
 最近の日本の既成左翼や新左翼は、2009年の政権交代から2011年の東北地方での人工地震の捉え方、民主党自民党論や第3極勢力期待論、金と政治のネガティブカンパニア、政治資金規正法における説明責任論などの世論誘導に惑わされやういのです。それは、実践の不十分さ抱えています。
 このような誤りや不十分さは、物事の捉え方が形式的ないし表面的になっています。それは、マルクス主義の著作の今日における意義、著作における限界、理論学習の弱さから派生します。マルクス主義者は、著作を読むだけでなく職場のリアルな実態の認識、職場を取り巻いている内外の状況の認識の方法や水準点、この間の労働運動の実践の総括をするべきです。
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