私は、2008年9月の中旬に全労連系の労働組合で金属加工の工場で公然化しました。この組合が、会社と団体交渉で①管理職による暴力の謝罪と②暴力の原因究明、③暴力の根絶、就業規則の開示を求めていました。しかし、この組合が、暴力の原因究明と暴力の根絶、就業規則の開示に不熱心のために、私は、10月の上旬にこの組合を脱退して関西合同労働組合泉州支部に加盟して、改めて会社に団体交渉を申し入れて要求内容に沿って団体交渉を重ねました。
会社が、突如団体交渉で2008年12月27日までの契約更新の終了を通告しました。私は、支部と相談をして同月12月29日の会社の始業時から終業時まで①雇い止め撤回と②管理職による暴力への糾弾のためのストライキを始めました。
私と支部が、早速会社の本社に出向いてストライキ通告と社長との交渉を求めました。会社が、警察署に連絡をしてストライキを弾圧しようとしました。私は、支部と一緒に実力で警察署の弾圧を跳ね返しました。私と支部は、会社の本社だけでなく勤務先の工場、代表取締役の家に抗議の申し入れと宣伝活動をしました。
工場近く勤務している労働者が、支部の抗議のビラを受け取って、会社の無謀さに驚いていました。会社は、会社の周りを支部の宣伝車で回っていることを恐れて、私と泉州支部に文書で①12月27日までの契約更新の終了の撤回と②継続雇用を前提にした雇用契約書の交付を文書で確約させました。ストライキ通告を含めた抗議行動が、契約更新の終了を撤回させたのです。私は、2009年の1月5日から出勤しました。
連合加盟の労働組合と全労連の労働組合は、ストライキ通告や権利を使いません。それは、会社の不当な攻撃を跳ね返すための腹固めができないのです。結局、これらの労働組合は、裁判や地方労働委員会に依存しています。今年の1月の全国一般大阪地方組合所属の柏原清掃委託労働組合が柏原市の指名競争入札でごみ収集の受け持ち地域の削減に対するハンガーストライキは、私が経験したストライキと連帯できました。
連合加盟の労働組合と全労連の労働組合は、ストライキ通告や権利を使いません。それは、会社の不当な攻撃を跳ね返すための腹固めができないのです。結局、これらの労働組合は、裁判や地方労働委員会に依存しています。今年の1月の全国一般大阪地方組合所属の柏原清掃委託労働組合が柏原市の指名競争入札でごみ収集の受け持ち地域の削減に対するハンガーストライキは、私が経験したストライキと連帯できました。