☆ミぶどうちゃんのブログ☆彡ぶどうが獲れる柏原にいらっしゃい!

ぶどうの出店は、6月の予定です。ぶどう狩りは、8月に再開の予定です。来年もよろしくお願いします。

結婚について(新約聖書のコリント人への手紙の1の7章1節から7節より)

 私は、新約聖書のコリント人への手紙の1の7章1節から7節を紹介します。
 そちらから書いてよこしたことについて言えば、男は女に触れない方がよい。しかし、淫らな行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめい自分の夫を持ちなさい。
 夫は妻に、その務めを果たし、同様に妻も夫にその務めを果たしなさい。妻は自分の体を意のままにする権利を持たず、夫がそれを持っています。同じように、夫も自分の体を意のままにする権利を持たず、妻がそれを持っているのです。
 互いに相手を拒んではいけません。ただ、納得しあったうえで、もっぱら祈りに時を過ごすためにしばらく別れ、また一緒になるというなら話は別です。あなた方が自分を抑制する力がないのに乗じて、サタンが誘惑しないとも限らないからです。もっとも、私は、そうしても差し支えないと言うのであって、そうしなさい、と命じるつもりはありません。私としては、皆が私のように独りでいて欲しい。しかし、人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います。

 私は、クリスチャン同士の結婚が神から賜物を頂き、神からの宣教の使命を行うためと考えています。クリスチャンでない方々の普通の結婚は、お互いが長く付き合うなかで、生き方や気分、感情がぴったりになって、生きてきた環境や日常生活の違いを乗り越えて共同生活をすることです。
 一部の女性たちが、結婚活動と言う婚活を邁進する傍ら、結婚しない女性や所得の少ない男性が結婚できないことなど、結婚が意味を変えています。
 結局は、結婚の決めてが男性の所得やそれぞれの見た目の良さ、甲斐性などの経済力のようです。私は、結婚がお互いの打算ではなく生まれの違う人たちの共同生活をすると言うことなのです。クリスチャン同士が、神から賜物をいただいてもお互いが生活できなければ結婚しなくてもいいのです。