私は道であり真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
この節は、イエスキリストが、神の言葉を伝えるために信仰の確信を得ることと神の言葉が生き生きとしていることを表していると感じます。そして、イエスが、神の言葉の説教を通して信仰を得られて、新しく生まれることから天国への旅立ちまでのクリスチャンの生き方を示す人だったのです。
日本のキリスト教が、日本国憲法の制約であくまで私事になっています。ところが、一部の牧師は、自身が神になったつもりで、クリスチャンに奉仕や献金を強要して、あたかも神の国に到達できるようなマインドコントロールをかけています。これは、クリスチャンでない日本人がキリスト教を嫌います。日本のキリスト教が、クリスチャンの支えになるようなイエスキリストが目指す神の道と真理を導くようにして欲しいです。