私が、日本共産党による現代社会民主主義打撃を知ったのは、学生時代からでした。時は、1983年です。
当時の大阪での社会党の国会議員は、衆議院議員で左近正男と井上一成、上田卓三、和田貞夫、中村正男です。参議院議員で比例区の福間知行です。
日本共産党は、これらの社会党の国会議員を「反共主義者」、「部落解放同盟や中核派、平和と社会主義、革マル派、毛沢東派などの暴力集団を束ねる政党」、「大阪総評と部落解放同盟と運命共同体」と徹底的に批判をしていました。
当時の大阪の社会党と日本共産党は、国会議員の議席が均衡していました。上田氏や左近氏は、元日本共産党員から立候補したために、日本共産党は、すぐに徹底的に社会民主主義打撃を展開しました。この打撃が、自民党や公明党、民社党批判よりも優先していました。
私は、日本共産党による現代社会民主主義打撃を異常と感じていました。社会党の批判は、適切にしながら、職場や地域、学園での社会党の活動家や支持者に対して社会党の問題点を明らかにして、社会党と日本共産党の関係改善が必要なことを感じていました。
両党の不仲の原因は、日本共産党の社会ファシズム論と社会党の共産党引き回し論です。日本共産党や社民党、新社会党が、これらの拘りを克服しない限りお互いの信頼関係が構築できません。